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忠臣蔵の神崎与五郎

リリィ
忠臣蔵でおなじみの四十七士の神崎与五郎って、どんな人物だったの?
小林正観さんの本で神崎与五郎の生涯が解説されていたので紹介するよ。

以下は内容を要約したものだよ。

ハリソン
そのうちわかるという生き方
忠臣蔵でおなじみの四十七士の中に神崎与五郎という人がいたんですね。浅野内匠頭が切腹をし、藩が断絶したため、浪人になって吉良家の内情を探ったりしていた時のことです。与五郎が屋台で飲んでいた時、たまたま隣り合わせた町民が与五郎の腕を見て、この男は大工か、もともとお侍をやっていたんじゃないかと思ったそうです。大工やお侍をやっている人というのは、必ず腕の筋肉がすごく発達していて、その町人は与五郎の言葉遣いや物腰などを見て思わず、「あんたは元はお侍みてえだが、どこの国の人だねと」と与五郎に尋ねたそうです。
「赤穂だが」と答えると 「何だって じゃあ、あの浅野家の家臣かあ」と町人はびっくりしたんですね。
そして「俺たちは、いつになったらおめえさんたちが浅野の殿さんの仇を討つのかと思って楽しみにしているんだが、一向にそんな気配がねえなあ、ってみんな言ってるぞ。でも本当はそのうちにやってくれるんだよな」と与五郎に絡んできたんですね。そのとき、討ち入りの準備は着々と進んでいたのですが、決して外部には漏らすわけにはいかない。ましてや屋台で出会った男に簡単にしゃべるわけにはいきません。
で、与五郎は「いや、主君の仇討ちなど誰も考えていない。それに、もう自分は普通の町人になった。そんなことは忘れた。今は毎日食べるだけで精いっぱいだ」と答えたんです。
すると、町人は目をむいて「なんて意気地のねえ話だ。赤穂のお侍がこんなに意気地なしとは知らなかった。おめえさんなんて名だ」。
「神崎与五郎と申す」。
「なにい、かんざけ(燗酒)良かろうだぁ? 俺が冷や酒飲んでるからってバカにするんじゃねえ」と興奮した町人は、酒の勢いもあって与五郎の頭に冷や汗をドボドボと浴びせたんですね。 それで「これが本当の寒酒(かんざけ)良かろうっってもんよ」と悪態をついて、その町人は去っていったんです。与五郎は静かに酒を拭きスッと立ち上がると「あいすみませんことで」と謝る屋台の親父さんに対してニッコリ笑って「そのうちわかる」と一言だけ言って、去ったといいます。
生き様を見せ続ける
その後、見事に吉良邸討ち入りを果たした四十七士は、その討ち入りの約3ヶ月後、幕府から全員切腹を命じられ、遺体は高輪(たかなわ)の泉岳寺(せんがくじ)に葬られました。泉岳寺には今も四十七士の墓があり、神崎与五郎もはそこに祭られています。 その後しばらくして、ひとりの町人が与五郎の墓に詣でました。そして、地面に頭をこすりつけて「神崎さん、申し訳なかった。許してくれ」と号泣しました。あの「寒酒(かんざけ)良かろう」と酒を浴びせた町人だったのです。町人は墓の前で頭を剃り、それから一生、与五郎の墓の世話をする墓守として生きたということです。
ハリソン
リリィ
小林正観さんは、神崎与五郎について、どのように解説しているの?
誤解されたとしてもいい、いつかは分かってくれると思いながら生きていけばいい、それは神崎与五郎のように、これからの生き様を見せ続けるという方法でです。不幸や悲劇は存在しない。そう思う心があるだけです。ものの捉え方の訓練ができると実は全ての現象を変えることができるんです。あなたが考えることはこれからあなたがどう生きるかだけですと言っているよ。
ハリソン