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人生の禍福は分からない

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リリィ
三菱グループを築いた岩崎弥太郎はどんな人だったの?

「日本史に学ぶ成功者たちの勉強法」という本の中で岩崎弥太郎のことが書かれていたので紹介するよ。
ハリソン

現在も巨大な力を誇る”三菱グループ“———。
その礎を築いたのが、岩崎弥太郎です。
弥太郎はハングリー精神の塊でした。
土佐藩の”地下浪人“という低い身分から、成り上がった人です。
地下浪人というのは、武士階級の底辺に位置し、食べるものにも毎日、困るような生活をしていた人々でした。
そんな境遇から脱出するには、勉強しかありませんでした。
弥太郎が二十二歳の時、著名な朱子学者の安積艮斎の塾に入門を許されました。
しかし、さあ、これから勉強だ、という時に故郷から手紙が届きます。
飲んだくれの父親が、牢獄に放り込まれたいう知らせでした。
弥太郎の父は、いわゆる穀潰しで、庄屋と喧嘩をして、複数人からリンチを受けたのに、罪人扱いされたのは父親のほうでした。
地下浪人で、酒飲みで、村の嫌われ者だったために、不当な裁きを受けたのでした。
弥太郎は父の面目を思って激怒します。
そんなふざけた話はあるか、と頭にきて、急いで土佐に戻りました。
ふつうなら十二、十三日かかる東海道を八日で駆け抜けたほどです。
早速、役人に「これは冤罪だ」と申し出ると、反対に「お上楯を突いた」と言われ、父の釈放と入れ替わるように、今度は弥太郎自身が牢屋に放り込まれます。
彼はこの時、本気で、世の中の不平等を呪ったことでしょう。
でも、人生の禍福はわからないものです。
実は、牢に入ったことが、弥太郎の人生を劇的に変える発端となったのです。
その牢には、藩内の材木を横流しした木こりが入っていました。
彼との出会いが、弥太郎をビジネスの世界へと導いたのです。
木こりは、藩の専売特許である材木を勝手に売った罪で投獄されていました。
弥太郎はこの木こりから、商いの仕組みを詳しく聞き、今までまったく知らなかった経済の世界を垣間見ます。
そして、儒学者を目指して学問をするよりも、大きな可能性を感じました。
一年間ほどの牢内生活で、弥太郎は木こりから商売のやり方や算術などを基本から学びました。
商いの世界を知れば知るほど、自分は商売が向いている、という気持ちが高まります。
しかし、元手(資金)がありません。が、しかし、いずれ自分で商売をやろう!という発想が生まれたのは、この時からでした。
ハリソン

困難に直面した時、どう行動するかによって人の真価は問われるよ。ピンチをチャンスと捉えて前向きに行動することが大事だよ。
ハリソン


日本史に学ぶ成功者たちの勉強法